はじめに
芸術愛好家の皆様、ようこそお越し下さいました。ごゆっくりどうぞ。
♪オープニング
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 尚、本サイトの画像は、自作もしくはPublic Domain(下記の青字リンク先をご参照下さい)になった過去の巨匠の作品の画像を使用。WikiPediaからお借りしています。各記事の画像をクリックすると拡大表示されます。
     ・・・過去の偉大な巨匠たち、先人たちに敬意を表して・・・
                                     
♪感傷的な主題と展開
作曲:村田雅和
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2009年10月26日

最高の贅沢とは

最高の贅沢とは何か。それは自らの趣味を極めること。
たとえお金がなくとも、以下のいくつかはできるはずだ。

流行に流されない。
部屋にテレビを置かない。可能であれば、自分の目で確かめること
(美術関連や自然、歴史などに関する番組以外は、その多くが屑だ。新聞についても、かつて田中角栄が、「信頼できるのは、テレビ欄と株価欄だけだ」と言ったのは、専門家ごとに言うことが違っている事実が証明している)

自分らしくあること。

海でも川でも、どこでも、自分が最も心安らかになれる居場所を見つけること
さらに、自分が本当に好きな文学者や芸術家が現れれば、もはやいうことはない。

たとえささやかあっても、自分の身の回りの品は一生ものに、そして可能であれば、信頼できる職人に特別に発注するのがよろしい。

要するに味わい尽くすということだ。

私自身は資本主義者(資本主義者=拝金主義者というわけではないし、誰も私のことをそう思う人はいないと思う。20世紀最大の経済学者、故M.フリードマン教授のことは、必ずしも一般には理解されてはいない)であり、大量生産、大量消費にはそれなりのメリットがあると思うが、大量廃棄という悪弊まで産みだしたことに対しては否定的だ。結果として、今の人達の多くには「もの」に対する真の喜びが無いのだ。だから、使い捨てになる。勿論、作る側にも責任はある。真の職人に会いたいと思う。

喜ばしいことに、今年は秋に紅葉が見られるようだ。

私にも生まれつきダンディの素質があるようだ。人が何と言おうが最高の自分でありたい。
ただ、モンテスキュー伯爵やジェームズ・ホイッスラーとは違って、弁舌の才能は無いらしい。
(自画自賛(笑)。ダンディズム=ジェントルマンシップではないことに注意。質の悪い私のことをジェントルマンと言う人は絶対に居ない)
言っておくが、女性にモテたいという男はダンディではない。ただの馬鹿だ。愛する一人の女性がいれば十分ではないか。いなければいないで最高の自分を信じて生きていけばいい。最高の自分というが、決して他人を蔑ろにしてはならない。要は自らに誇りを持つということだ。

いずれ、自分の肖像画を載せた一冊の書物をものにしたい。ボードレールやアングルが写真を嫌ったように、写真ではなく、肖像画でなければならない。

私は作家では無いので、装丁は勿論、自分で行うつもり。注文すると非常に高く付くし、私は書物の外観にも非常に拘るタイプだ。


いつになるかは全く以て不明。
それまで生きているだろうか。

マラルメほど書物に関して深く考察した詩人はいないが、彼自身は究極の書物を完成する前に倒れたのである。


黄昏の腐爛の世に散る言の葉に鏡月夜の蒼き露かな


村田雅和

印象派絵画から学んだ色彩の対比、すなわち、補色の効果を自身の短歌に織り込んでみた。


posted by 雅 at 00:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

山中富美子詩集抄

 
以前投稿した山中富美子氏に関する記事を10月25日訂正


森開社より「山中富美子詩集」が刊行されてから、徐々に明らかになってきたようですが、山中富美子の詩には著作権が存在するようです(日本の著作権法では作者の死後50年)。文学的夭折を選んだ彼女はどんな人だったのでしょうか。一人の芸術家に魅せられるとやはりその人について知りたくなるものです。


 参照:Yahooブログ「螺旋の器」

  若くして、突然詩壇から消えた偉大な詩人の生涯は、いずれ明らかにされるとして、さらに驚いたことに、彼女の詩の英訳があるとのことです。忘れ去られた偉大な芸術家が、時を経て私たちの前に突然姿を見せる・・・実に感動的な瞬間です。

願わくは、私の尊敬する故人の生きた思い出に、もしお聴きくださるなら、私の拙い曲ですが『思い出』を贈りたい。


 

 さて、詩集の表紙をめくると、彼女の18歳頃の清楚で非常に可愛らしい顔立ちが印象的。詩の内容に見合った美しい製本だと思います。澄み切った美しいからは、彼女の並外れた知性が窺がえます。富美子は、叙情的な女流詩人の伝統とは全く違った世界にいて、「詩の方法」に関して深い思索のもとに詩を構築した真に偉大な女性詩人だと云っていいでしょう。


 この詩集には、当時の詩の雑誌の印刷にしばしば誤植があったため、全く同じ詩が複数載せられています。どれが正当か今となっては彼女に聞くわけにもいかないので、複数載せることは、森開社の編集者の適切な配慮だといえます。 

 

拙い作品ですが、亡くなった尊敬する全ての芸術家にこの曲を贈りたい。

そして、彼あるいは彼女のことが、再び誰かに語り継がれていくことを信じたい。

 



曲:村田雅和
posted by 雅 at 02:32| 文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

北原白秋頌

北原白秋頌

北の原湖畔の乙女の白樺はその髪揺らす微睡みの秋

村田雅和

 人の名を詠んだ私の短歌。カミーユ・コローの絵画のような白樺の美しい湖に行ってみたい。なぜか伊勢物語の在原業平を思い出した。

から衣きつつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

在原業平

在原業平の「かきつばた」を詠み込んだ名歌。

 自然の風物や人の名を詠み込んだ詩というのは日本に限ったわけではなく、フランスのステファンヌ・マラルメは人の名と住所を詠み込んだ詩を、郵便としてそのまま表に書き、この不思議な宛名書き(詩句)で決して配達されなかったものはなかったといいます。

 伊勢の紅葉は冬とともにやってくるらしい。虫の声はあきらかに秋を語っています。季節外れなのに時々、雨蛙が自らの美声を楽しんでいるようで(笑)・・・。
 
 このあたりは杉や檜の人工林が多い。ゆえに美しい紅葉はなかなか見られない。杉や檜の森では植生が単純であるがゆえに動物の餌が少なく、動物達が田畑を荒らすのも無理はありません。杉自体の根が浅く、また下草も少ないため、ブナの天然林と比較すると土壌が圧倒的に弱く、土砂崩れの多くは杉や檜の人工林で起きています。

私の秋らしい一曲でもどうぞ

曲:村田雅和
posted by 雅 at 19:41| 和歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

微睡み

 今年はフェリックス・メンデルスゾーン(1809ー1847)生誕200周年記念。メンデルスゾーンのファンにとっては嬉しい限りです。しかし、この作曲家は、日本では、なぜかあまり注目されていません。生まれながらの天才にして、忘れられた過去の巨匠(バッハなど)や同時代の作曲家の作品を積極的に取り上げ、指揮者という職務を独立したものとして確立し、音楽史上に多大な貢献をしたこの作曲家は、裕福なイメージと裏腹にユダヤ人であることを常に意識し、またそのために苦悩していたともいわれています。最愛の姉ファニー(ピアニスト、作曲家)を亡くしてからは仕事への意欲を失い、わずか38歳で亡くなりました。

最期の言葉は「疲れたよ、ひどく疲れた。」

 メンデルスゾーンは多彩な才能の持ち主で、多数の言語を話し、趣味は水彩画、詩で、登山に出かけてはスケッチをためていたようです。絵はメンデルスゾーン自身の描いた水彩画で、クリックすると拡大されます。偉大な作曲家の記事に私の拙い音楽(汗)ですが、私の作曲した『微睡み』をお楽しみ下さい。

746px-Ansicht_von_Luzern_-_Aquarell_Mendelsohn_1847.jpg 絵はクリックすると拡大されます。


絵:フェリックス・メンデルスゾーン
曲:『美しき夕暮れに微睡む』村田雅和
posted by 雅 at 18:55| クラシック音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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