はじめに
芸術愛好家の皆様、ようこそお越し下さいました。ごゆっくりどうぞ。
♪オープニング
♪をクリックすると曲が流れます。
 尚、本サイトの画像は、自作もしくはPublic Domain(下記の青字リンク先をご参照下さい)になった過去の巨匠の作品の画像を使用。WikiPediaからお借りしています。各記事の画像をクリックすると拡大表示されます。
     ・・・過去の偉大な巨匠たち、先人たちに敬意を表して・・・
                                     
♪感傷的な主題と展開
作曲:村田雅和
をクリックすると曲が流れます。

2010年05月15日

記念碑

我が棺に涙降る、失われし日々の思い出よ・・・
あらゆる喜び、悲しみを、内に隠して今日も待つ
ささやかな石碑に眠る魂の墓場
今宵あなたは出会うだろう

月の光の導きに、あなたは忍ぶわが夢に
そこに眠るわが遺書は、あらゆる思いの折り畳み
ささやかな言の散りゆくは
月夜に煌めく葉の如く

秘めたる我が魂は、あなたゆえに蘇る・・・
わかるかね、漆黒の空の下、あなたは私の夢の中
再び誰かによって伝えられんことを

私からあなたへ、あなたから他の誰かへ・・・
そして、あなたの思いは飛翔する
嘗て私が夢見た大空へと
posted by 雅 at 21:14| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月31日

凍てついた今日と云う日の・・・

凍てついた今日と云う日の・・・
                   

                村田雅和                



フラクタル文様のクリスタル
夜の静寂の滋養受け
凍てついた今日と云う日の
清澄ながら無情なる煌めき・・・

憂いたる古の老白鳥・・・
時の鐘に打ち震え
今日と云う日の脅威に
翼の一撃を寒空に試みる

狂王たる老白鳥      ・・・私は
「 凶 」 の今日に打ちひしがれ
あらゆる希望さえ 「 幻覚 」 の烙印

黄昏の夢の花々の思い出・・・
溺れ逝くシメールの鎮魂歌 ( レクイエム )
わが羽根は永遠の夜に散る葉となす・・・
posted by 雅 at 23:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月03日

月に寄す

月に寄す
  
  ・・・あるダンディのセレナーデ

                 村田雅和


今宵たゆたふ蒼白き御身
悲哀に満ちた女(ひと)よ
涙に濡れし百合の束を
愛するそなたに捧げよう

蒼く染まる絹の手に
黒髪揺らす甘い吐息
黄金に染みし言の葉散らす
永遠の静寂に俺は眠ろう

流れる月日は時の河
叶わぬ夢と戯れて
そなたの形見を懐に
風の囁きに俺は微笑む

微睡む瞳の煌めきは
時の河の金剛石
百合の乙女の接いだ酒
甘き香りに俺は溺れた・・・
posted by 雅 at 23:59| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

偉大なるマエストロに捧ぐ詩

偉大なるマエストロ
    ステファヌ・マラルメに寄せる夜想曲


                    村田雅和

無常なる時の協奏曲・・・
唯独りの観客たる私は
湖畔の寒空に震えていた
涙に沈んだ月影は
昔日の溜息に揺らめいて
夜風の甘い囁きが
金と青の快い調べを奏でていた・・・

いとも高貴なる漆黒の夜空 、
思索の沼辺たるインクの壷よ!
語ってはくれまいか・・・
月はなおも湖上に揺らめいて
貴女の想いが私のものとなる時、
わが夢は異国の鳥として羽ばたけよう!

微睡みの水鏡に写すわが想い・・・
貴女の眼差しに照らされし
無数の捉えがたき言の葉は
蒼い陰鬱なわが心中に
昔日の揺かごの中で金色に煌めく・・・

古より時を刻みしわが月よ !
永遠の乙女たる貴女の微笑みが
そして甘い囁きが
異国の羽根ペンを羽ばたかせ
わが空虚なる夜空に
無数の星を散りばめる魂を
もう一度吹き込んでくれたのだ・・・



 多忙だった年末年始を超えて、1日休みをもらい、究極なる書物の完成を目指して、マラルメとノディエを読んでいます。ビブリオマニアで、夢と狂気の世界を描いて、幻想文学の祖となったノディエ、究極の書物を目指したマラルメ。そして私は、偉大なマエストロ達を研究する修行の身です。
posted by 雅 at 22:27| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

詩の解釈、書物

おそらく、今年最期の更新となります。
 
 もうすぐクリスマス。サンタクロースのモデルと云われる聖ニコラスが、貧しい人の家に金貨を投げ込んだら、干してあった靴下の中に入ったと云う伝説・・・。クリスマスに生まれたキリストの十字架上での人類の救済に対する神への懇願・・・.
 今の子供達は知っているだろうか・・・。日本は何でも商売にしてしまう国である。
私ならプレゼントとして、その人の糧になるものか、あるいは一生ものをお勧めする。流行物などすぐに捨てられるのは目に見えている。

 詩の解釈は難しい。自身も詩人であり、翻訳者でもある白鳥友彦氏が、「詩は翻訳すればその生命を失う」と森開社の翻訳詩集で語ったように、作者の本来意図するものとは別の作品になってしまう。少なくとも原詩の音韻は消滅してしまう。

何度も私のこの句を紹介したが、再びここで

黄昏の腐爛の世に散る言の葉に鏡月夜の蒼き露かな
 
            村田雅和

 ロリナの「腐爛頌」やサマンの「青き眼の半獣神」が念頭にあったことは以前書いた。いずれも、森開社で注文できる。但し、森開社は限定出版が常なので、手に入るか否かは不明である。あるものは定価の倍以上の古書価が付く。アルベール・サマンの青いマーブル装の本は殆ど手に入らないと思っていい。
 
さて、全て平仮名表記すれば、こうなる。

たそがれのふらんのよにちることのはにかがみつきよのあおきつゆかな


 ここで、マラルメがレセップス事件に関して書いた「グリザイユ」という記事を思い浮かべることが出来たなら、あなたは私以上の玄人だ。なお、私はフランス語を学んだことがない。

さて、手の内を明かすとこうなる。

2重の意味を持っていることがわかると思う。

たそがれ=古くは「たそかれ」すなわち「誰そ彼」、元来、「誰だあれは」の意味で、夕暮れにおいて人の顔が判別しにくくなる時間帯を指すようになった。

ふらん=フランスの通貨フランあるいはフランスそのもの

ことのは=言葉、事の端

かがみ=鑑、あるいは鏡

「誰だあれは、レセップス?」と愚劣な新聞記者どもは、一体どれだけ騒ぎ立てたことだろう。自分たちのことは棚に上げておいて、人の悪口ばかり書き立てる新聞記者やジャーナリストのことを、ドイツ語では「日給取り」というのを、ショーペンハウエルが「読書について」で語っている。実に相応しい言葉だ。テレビで「格差はいかん」とか抜かす連中が、肉体労働従事者に比べ、かなりの高収入なのはなぜだろう。私自身は所得が低くても、金持ちが出資しないと経済は成り立たないことを知っているので、間違ってもそんな馬鹿げたことは言わない。

 フランス世紀末の最大の金融事件であるレセップス事件。取り巻き連中の吐く身勝手な言葉、すなわち、成功時には賞賛の言葉を、そして失敗した時には、その同じ人物に対して散々罵詈雑言を並べ立てる身勝手な人間の本性は、いつの世においても変わらない。月はそんな露のように虚しい世界を鑑みて嘆いているのだろうか・・・。現代においても同じだ。

 なお、「グリザイユ」とは油絵の伝統的な下絵の技法であり、マラルメの友人達であった印象派の画家達は(おそらく、修業時代を除けば)決して使用しなかった。ドガは使用していたかも知れないが(私はドガの絵の実物を見たことがないし、画集すら持っていないのでわからない)、ドガはアングルに傾倒し、技法的には決して印象派ではない。

 世紀末になると象徴主義的あるいは、さらにデカダン派が台頭してくるが、私の中で世紀末はまだ終わっていないし、多くの人も同意することだろう。時はまさに腐爛の世であり、政界やマスコミでは罵詈雑言が散りばめられ、私自身はこの世を照らす月(鏡月)を鑑みながら露のような儚さを憂いている、おそらくはダンディの一人である。

 黄昏の金と青のコントラストによる豪奢な自作の句を解説してみましたが、いかがでしょうか。シャルル・ノディエらの書物に関するダンディな考察は、私の作品のもうひとつの発想源です。書物の為の書物。ノディエは書誌学者、愛書家としての観点から、書物に関して語りましたが、私はあくまでも美術愛好家であり、ノディエのようなビブリオマニアではないので、また違った観点から作品を創ることになるでしょう。

 アレクサンドル・デュマの作品で「稀覯本余話」というものがあります。デュマ自身の回想を綴ったもので、デュマが出逢う愛書家は、名前は出てこないがノディエその人であり、デュマは「自分は決してビブリオマニアにはなりませんから」というノディエに対する宣言を、後に見事に裏切り、ノディエの指導によって、熱狂的なビブリオマニア(書痴)に変身し、ノディエと連れ立って、古書漁りのためにセーヌに頻繁に出没していたという。

 書物というのは恐ろしい。ノディエの作品や、ユイスマンスの「さかしま」などを読んで、熱狂的なビブリオマニアになった人が歴史上何人いたことだろう。犯罪小説や官能小説を読んで、愚かにも実際の行為に及んだ者、あるいは聖書を含む神学の本を手にし、敬虔な信仰者となった者、ウォール街ではよく知られているマイケル・ルイスの「嘘つきポーカー」を読んで辣腕トレーダーになった者・・・。なんと某書のおかげで自殺した者までいるという話ではないか!
 マラルメはドレフュス事件に関して意見を求められた時に「私は書物以外の爆弾を知らない」と言ったが、単なる気取り家の言葉ではないのは明らかだ。書物、言葉の影響力の恐ろしさゆえに、古来より支配者達は、被支配者に文字を教えないように(団結による政府転覆を防ぐため)、そして禁書処分というものを施したのである。

 ノディエは書物の氾濫について嘆いたが、私も同じである。ただ、理由は異なるとは思うが、本質的には彼と同じかも知れない。幸か不幸か、ノディエと私は別の国、別の時代に生まれた。ただそれだけのことに過ぎない。

月を見ながら私の曲をどうぞ。


作曲:村田雅和

音楽は素人なので未熟ですが、冒頭の私の句に感銘を受けたという方がおみえでしたら望外の喜びです。

作品を創る時、「これはどういう意味か」ということを作品の中で問う。これが私の創作姿勢であり、作品が少ない理由であります。
posted by 雅 at 23:54| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

覚書



空 虚 鏡 眼 宙

 

マラルメ:世界は美しい書物のために創られている

      襞 2 墓

紙を折り畳むことにより、魂の墓場たる書物(フランス装)を形成する

ペーパーナイフによる挿入、暴力的な開示

 

かつては、書物の縁に朱が塗られるということがよくあった。

 

『半獣神の午後』において、彼が本当にものにしたかった「秘められたるもの」は何か

襞とは 二人のニンフとは

シチリアの沼 クリスタル製のインク壺 白い紙

 

サイコロ

 

最初に言葉あり。言葉に拠らざるもの被創物はなかった。

 

サミュエルソン:数学も言語なり

 

2進数

 

虚数

 

 

連続 不連続

 

アセンブリ言語により、ハードウェアを制御できるという事実

 

・・・私はものにすることができるだろうか?

 

 

posted by 雅 at 19:40| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

「詩作」および「鐘」を巡る考察

 
 世界を解釈すること・・・まず、「均衡」という文字の紡ぎだす音の響きに、厳かな金属的な音を思い浮かべたまえ。あなたは偉大な詩人になれるだろう。


 それは古の忘れ去られた道具だが、かつて祭儀に用いられた道具であり、中世においては「時」を告げる主だった。雑多なる言、あるいは、一見、でたらめな数から成り立つ世において、例の釣鐘は全てを律する厳かな様相を示し、世界を形作る数学的前提条件(正規分布)と科学者は言う。 

 「静」は、精妙なる金細工の上に完璧なる「均衡」を描くのに対し、現実、すなわち「動」はしばしば、均衡の前提条件を破壊し、「古」の楽器を決して「静」に留めない。不思議なことに、新しい現実は、「均衡」=「静」の中には生まれない。「異端」の動的な影響から生じるのだ。そして時間の経過とともに、新たなる均衡が生じる。常識が必ずしも真実でないという事実に極めて近くはないだろうか。認めたくはないだろうが、大多数を占める世間の凡人たちにとって(そしておそらく、悲しいことに、思考の泥沼から飛翔できない白鳥=私も、唾棄すべきそのうちの一人だろう)、真実が「非常識」たりえるのだ。異端者(異常値)=天才は、我々の知らない、あるいは認めたくない(新しい?)真実を告げる人(データ)なのだ。


 私は、正規分布の釣鐘の形状を巡る、最近のこのような議論に対して自分なりの見解を持ったことに満足して、澄み切った空気の中、永遠なる夜空に思いを巡らす。科学者が数多なデータから平均と分散を求め、自然の法則を見出すように、私は貧しい脳髄から消え行く雑多なる思考の中から至高の「言」を見出そうと、思考の泉、凍てついた氷河の世界から白鳥の歌を紡ぎだそうと、無謀なる知的探求を試みる。



 時の腐食に耐えうる至高の「言」を求めて。


    願わくは、黒い白鳥の出現の恐怖にさらされる前に・・・



マラルメの偉大な弟子の一人、ヴァレリーが詩作に懐疑心を抱き、一時期詩作を放棄し、数学や物理学に没頭した理由がわかるような気がします。
posted by 雅 at 09:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

文化と気候



玉の露 にほふ蛍の 夢のあと    RENTISUIKIN_SOTATSU.JPG     

     

            村田雅和

 


絵:俵屋宗達;『蓮池水禽図』



絵はクリックすると拡大されます。




 学問や芸術の形成には気降や風土が大いに関係しているらしい。


 古代ギリシャやローマの霧の無い晴れ晴れとした明確な景色は、論理明晰なギリシャ哲学、幾何学的な建築物、大理石彫刻が発達し、後のイタリアでは、古代ギリシャ、ローマ文化の復興を目的とし、時間を永遠に留めたような理想主義的な古典主義芸術が(マニエリスム、バロック陣営と、対立しながらも)永きに渡って展開されました。

 誰の言葉か知らないが、イギリスは小さな島国なので、一日で四季が楽しめるというほど天気の変化が激しいので、風景画、それも水彩画が非常に発達し、中でも19世紀のウィリアム・ターナーの名は水彩絵の具のメーカーの名になっています。風景画家ターナーは、油彩画は勿論、水彩画の歴史で最も傑出した画家の一人です。絵の具といえば、イギリスの肖像画家、ホルバインからとったホルベイン社も有名ですな。ゴッホの名をもつメーカーやら他にも探せばたくさんありそうです。ちなみに、私の使用しているイーゼルには、「VANGOGH」と記載されています。ゴッホはフランスに移って印象派の画家に習って、後に全く独自の画風を形成したオランダ人です。


 ゴッホの活躍した時代の前後、モネをはじめとする印象派の時代には、日本の芸術がヨーロッパで大流行しました。睡蓮や日本の水辺の花を描いたモネ、文字通り浮世絵を模写したゴッホ、陶器や扇などをコレクションし、名高い「ノクターン」シリーズや自身の蝶を象った署名を考案したアメリカ生まれの「ダンディー」、ジェームズ・ホイッスラー・・・。おそらく日本語を一言も解しなかったフランス象徴派の詩人達、ヴェルレーヌ、マラルメ、サマンらの詩にも日本の短歌に通じる「儚さ」の表現がみられます。日本から渡ってきた絵画や陶器、着物における「儚さ」の表現から、決して言葉は通じなくともそれを感じ取ったのでしょうか。


 私はかつて一度だけ中国に旅行したことがあります。霧がかった広大な平原に意表を突かれる黒い柱のような山・・・。中国山水画の素晴らしさとその起源を目の前で見せ付けられた感動的な体験でした。


 短歌や俳句は私には向いていないらしい。あまり造詣はないし、そのような生活環境にもない。水彩画の苦手な私にとっては、日本の岩絵の具や水墨画は無理だと思うので、あえて挑戦しようとは思いません。美術館で鑑賞するだけに留めておこうと思います。私が好きな日本画家は琳派、特に酒井抱一の『夏秋草図屏風』の繊細さが心に滲みます。俵屋宗達の『蓮池水禽図』もよろしいですな。


 精神的な貴族主義=ダンディズム(よく勘違いされるがダンディズム=ジェントルマンシップ:紳士ではない、ジェントルマンからするとかなり性質が悪い)を糧とする私としては、目障り、耳障りな情報を避けるべく、テレビは避けるようになったが、インターネットの悪影響は否定できません。本サイトのコメント機能を厳格にしたのは、唾棄すべき、わけのわからんコメントで、いかがわしいサイトへ誘おうとする馬鹿者を追い払うためです。


ベニスのような街なら住んでみたいと思いますが、私は基本的に都会嫌いなので、静かな森の湖の傍に小さな家を建てて、隠居するのが将来の夢ですな。


私の拙い句でご不満の方は、こちらでもご覧下さい。


「能登麻美子:詩の朗読」


 最近のテレビ番組や芸能情報に極端に疎い私はこの方のことを全く知らないのですが、声優さんによる高村光太郎の詩の朗読です。このような方に拙作「雨に打たれて」を朗読してもらいたいですね。

 


 ※本サイトでは、商品に関する(私が意図してリンクを張ったものものを除く)リンクが自動的に形成されますが、別にアフリエイトに参加しているわけではなく、私自身、何も関知してはおりません。無料で利用させていただいているので、それはそういうことで・・・。

 



posted by 雅 at 22:35| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

クロード・モネの睡蓮

濁りなき清らかな水の面は
人の心を映す水鏡・・・。
夕暮れ時の水の面は
濃厚かつ神秘的な光景を
そのままそっくりと映し出していた・・・

透明な水の色は
観者の多様性を映し出し
風に揺れる鏡の面は
なんと映される対象までも揺らしていた・・・

多様性に富むその色彩に
彼の画家は心奪われ
そして、彼の心は
その美しさゆえに揺れていた・・・

あらゆる対象は揺らめき
甘い風は多様な色彩を匂わせ
そして光と影は動きと実在を表し
その美しき画面に命を吹き込んだのだ・・・


詩:村田雅和
posted by 雅 at 09:22| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

習作   ステファンヌ・マラルメの永遠なる墓石

世界は美しい書物の為に・・・
                
                 
                          ステファンヌ・マラルメの永遠なる墓石


観念 ( イデア ) の沼に繁茂する睡蓮の如く


    揺らめく一つの形象は

            ただひたすら甘い香りを匂わせる処女の溜息とともに・・・
      凍てついた無常なる世の深淵に朽ちるというのか?

            否、

真珠の素肌に煌めく謎めいた宝石か
( そして 、 おそらくは堅固でありながらきわめて儚い )
      あるいは夢見る虹の眼差しなのか・・・
 
 それは迎える花々を
  ( そいつは何とも逃げ易く 、 捉えがたき香りを放ちながら )
   清き絹の水面に揺らめく菖蒲の葉で綴る

      あるいは時の駆逐に耐えうる石碑と化するのを

白百合よ!
            苦悩する詩人は
                    実にそなたと夢見るのを・・・
そして過去でもあり未来でもある
    あの河に揺らめく星の涙の如く
          永遠に語られるのを祈るのだ・・・
                 
          永遠の秘石に揺らめく七色の夢・・・
      ・・・ただ彼のみが味わい深き葉巻の煙に
        その妙なる笛の音を吹き鳴らし
    稀有なる明日の叡智の為に
永遠の白百合の荷姿なる乙女の真珠の涙を
    捉えがたき水面の花の香りに昇華させる・・・
 
             否!

それは再び閉ざされた墓石とし
 麗しき白百合の祈りの微風を待ち望んでいる・・・
    貴女の涙の元に吹き寄せられた
      至純なる言の葉が
 夢の花の永遠の視像に満ちていながら
      捉えがたき大気の印象を
   
        また・・・

名もなき彫り師の手になる
    永遠なる墓標を守る彫像の
  虚ろな眼に語らせようとしている・・・
そして乙女が再び微笑みかける時
( それはあの妙なる音を奏でる
          鐘の如く極めて稀だろう・・・)

 その燦然たる光の矢に射られるのは
      その眼差しの奥底に辛うじて時を読み取る


                                    亡びゆく貴紳の末裔なる

      精神の永遠なる形見のみ・・・


Portrait_of_Stéphane_Mallarmé_(Manet).jpg

絵:ステファンヌ・マラルメの肖像:エドュアール・マネ(1876年)
クリックすると拡大されます。

未完の詩:村田雅和

書物は魂の墓石であり、棺を開くことによって封じ込められた内容が読者の脳髄に生き生きと蘇る。マラルメの詩は、フランスの詩の歴史の中で晦渋をきわめ、執拗な程に書体や装幀にこだわり、その結果、いくつかの計画は断念されてしまった。現代の本の装幀はあまりにも俗化されてしまった。私が大衆的な書籍ではなく、発行部数が少なく、装幀に凝った古書を好む理由は、おそらくマラルメの思想の影響だと思う。いわゆるベストセラーにはまるで関心が持てないのは、おそらく、「さかしま」のデ・ゼッサント、すなわちユイスマンスの影響だと思う。
posted by 雅 at 23:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

幻想的空間における序章


空は悲しみに満ち溢れ
音の無い空間を119820574087016408804.jpg
ただ行く末無く
一筋の風はためらっていた・・・

力を失った世界に潜む影は
死の掛け衣に覆われ
その存在をますます希薄にし
その形の持つ意味を失っていた・・・

一瞬でもあり永遠でもある
謎めく空間におけるすべては
その存在意義を不明瞭にしていた・・・

潜在的なものは顕在化し
断片的なものが普遍化する過程は
無情なる世界に曖昧化されていった・・・


詩:村田雅和

この詩をある詩のサイトで投稿した時、評価者はただ一人(文学通の駆け出しの画家らしい)でした。
フランス象徴派の総帥、ステファンヌ・マラルメは、類推による純粋なる詩の創作が如何に難解なものであるかを語っていますが、私も同じことを目指しています。決して簡単ではないので、したがって、完成された作品は多くありません。

図をクリックすると拡大表示されます。
posted by 雅 at 23:25| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

想い月

蒼く染まる花乙女
若き日々の夢に揺れる
時の川面に浮かぶ舟
あなたに想いを映すのは
帰らぬ日々の滴ゆえ

嘗て歩いた天の川
今宵あなたが歩むのか?
時の川面の羅針盤
私が星になっなら
あなたの行く手を照らしましょう

甘き夜霧に漂うは
嘗て生きた死者の声
今宵優しく見つめるは
時の行く手を示すため
生きるが一夜の夢ならば
遠い星に祈りましょう

今宵たゆたう鏡月
過去を明日をも語る人
甘き夜風に誘われて
しばし全て忘れましょう
生きるが故の苦しみも
死ぬが故の悲しみも

この身映す水鏡
金に染めるは夢花火
蒼き夜風に漂うは
あなたの奏でる愁夜曲

甘くささやく夜霧から
今宵漂う死者の声
金に染める鏡月
幾つの夢を照らしたの?
生きるが一夜の夢ならば
あなたのために祈りましょう
その身細めて泣く月よ
あなたのために祈りましょう


詩:村田雅和
posted by 雅 at 06:10| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月16日

水仙

Michelangelo_Caravaggio_065.jpg麗しき泉に死なねばならぬ    

清廉な乙女のその御姿に

その波紋が示すどよめきに

沈む我が身の愛しさよ



涙溢れて時の河

月のかけら黄金の葉

静寂に潜む死神の影

                                         

見果てぬ夢に疲れ果て



心ゆえに溺れていくのか




絵:ミケランジェロ・メリジ・ダ・カラヴァッジョ:「ナルキッソス」
ギリシャ神話に依ると、美青年ナルキッソスは、美の女神アフロディテ(ヴィーナス)からの贈り物を侮辱し、自分を愛する全ての者を拒否する呪いをかける。彼はある時、水に映った自分の姿に恋をしてしまい、そのまま湖に溺れてしまう。彼の死後、その場所には水仙が咲いていたという。

詩:村田雅和
posted by 雅 at 20:45| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

空は歓喜に満ち溢れ…

空は歓喜に満ち溢れ
夢は白い翼を羽ばたかせる
輝ける木湖畔々たちの手招きは
君を新たな旅へと誘う

光溢れる季節(とき)・・・
そよ風は微笑んで
まだ知らぬ未来の橋を
大空に架ける

七色に輝く
あらゆる思い出は
今は心の宝箱・・・

この春風に夢は飛翔する
そよ風に舞う
あの花びらのように・・・


詩:絵:村田雅和

絵はクリックすると拡大表示されます。

posted by 雅 at 20:34| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月19日

歓楽の舟

 歓楽の舟Edgar_Germain_Hilaire_Degas_012.jpg
   陥落の常
あらゆる恐怖があらわれる

  煉獄行きの連絡船

 悪魔の売る
   悪夢なし得る
     夢故に
       痛む民

あらゆる色香をあらわすは
   死せる心を乗せる舟
   快楽の船に汚れるは
     深き罪の不快感

       罪を生み

        夢を倦み

          逝く・・・



詩:村田雅和:憂愁の都市より

 難破船状に配置した文字による私の詩は、フランスの象徴派詩人の総帥、ステファンヌ・マラルメの『骰子一擲』を模したもの。この世の虚しさを表しています。
 
 絵はエドガー・ドガ(仏:1834-1917)の「アブサン」。ドガと云えば、印象派周辺にいた画家でありながら、印象派とは趣きを異にし、古典主義的なデッサンを重視し、それでいて日常生活の風景や、バレエを主題とした絵を多く描いています。この「アブサン」という絵は「悪魔の酒」と云われた度数の高い酒を飲む二人を描いた絵で、当時は非常に評判の悪い絵でした。ヴァン・ゴッホら同時代の芸術家のいくらかは20世紀初頭に禁止された、この酒に溺れていて、自らの人生を破滅に導きました。

 尚、ドガは油絵よりデッサンに関連したパステルを好み、モノタイプなど古い技法を復活させたことでも知られています。踊り子の他、馬や裸婦の「形態」ではなく、「動き」そのものに関心があったようで、そういった意味では技法は古典的ですが、「動きの印象派」だったのかもしれません。非常に気難しい性格だったようで、仲間と対立することが多く、晩年にはドレフュス事件で有罪を主張したため、多くの友人を失ってしまったといいます。

Edgar_Germain_Hilaire_Degas_018.jpgEdgar_Germain_Hilaire_Degas_059.jpg参考:左:ドガ:踊りの花形
右:ドガ:ロンシャンの競馬

絵はいずれもクリックすると拡大されます。
posted by 雅 at 00:56| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

時を語りて

光降り注ぎ、風薫るある夏の日380px-William-Adolphe_Bouguereau_(1825-1905)_-_At_the_Edge_of_the_Brook_(1875).jpg
幼き日のあなたの目にそれは刻まれていく・・・
光と影の戯れる世界
風に揺れる木々たちのざわめき・・・

夜風囁く、月が微笑むある夏の日
幼き日のあなたの心にそれは刻まれていく・・・
時の川面に映る月
遠い未来を見つめる星達の囁き・・・

蛍たちの命の賛歌
谷を流れる川のせせらぎ
ただ静かに、星達は時の流れを語りかける

美しき日々を風が駆ける
私達も人の世の思い出の一つになり
ただ静かに、私達は時の流れを創るのだ・・・


詩:村田雅和
絵:ウィリアム・ブーグロー(仏:1825−1905)『小川のほとり』

絵はクリックすると拡大されます。
ラベル:
posted by 雅 at 23:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生と死と・・・飛翔

何処までも清澄な 青い空の下ji.JPG
小鳥たちの唄と
朝の光に祝福されて
この世に人が生まれる時
あの安らかな寝台の上に
母の暖かな子守唄で
君は眠っていただろう・・・

木々の葉揺れる 黄金の空の下
教会の鐘と
そよ風に送られて
この世から人が旅立つ時
あの安らかな寝台の上に
清らかなレクイエムで
君は眠っているだろう・・・

古今東西 老若男女
清らかなものも 罪あるものも
富めるものも 貧しいものも
しかし富めるのは 心であろうか・・・

死は一つの誕生に過ぎない
重い肉体から飛翔していく
あの夕暮れ時のそよ風と共に
ただ 心さえ汚れていなければ・・・


詩:村田雅和
絵:村田雅和

絵はクリックすると拡大されます。

この詩のイメージとして、日本では殆ど知られていない、ルイ・ジャンモというリヨン派の画家の描いた『魂の詩』という非常に感動的な一連の作品があります。


連作ゆえ、ルイ・ジャンモに関しては、リンク・フリーのサイト様のこちらをご参照ください。

ルイ・ジャンモ

ラベル:飛翔
posted by 雅 at 23:32| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月08日

夜夢想

454px-Whistler_James_Nocturne_in_Blue_and_Green.jpg傷だらけの瞳を濡らす露の色は
月の落とす真珠色・・・
木々を揺らす静かなる風は
甘いささやきに満ちていた・・・
時の河は幾つもの夢を浮かべ
また遠い日の星へと昇華させていった・・・

夜霧がこの身を包み込み
月の光はやがて雫となり
独り行くこの私をうっとりさせ
見えない闇に包まれながらも
夢の世界を歩いていくのは
心地よかった・・・

誰もいないこの夜に
濡れる一輪の露草は
祈る乙女の姿に似て
美しかった・・・

やがて木々がざわめき
悲しみに満ちた私の心を
月の光はまるで母のように
いつまでも照らし続けていた・・・

そして一陣の風は
私を促すように
再び忘れた夢を探そうと
包むように語りかけたのだ・・・



絵:ジェームズ・ホイッスラー(1834-1903)"Nocturne in blue and green"
クリックすると拡大されます。

詩:村田雅和
posted by 雅 at 20:54| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月02日

夜想曲

349px-William-Adolphe_Bouguereau_(1825-1905)_-_Laurel_Branch_(1900).jpg紫の 夜が訪れ 
遠い日の 星の輝き・・・
あの人は 何を見つめる?
星空か 遠い日の夢?


露の色 真珠の涙
流れ行く 時の川面に
わが胸の 切なき想い
願わくは 消えておくれ


夜風に なびく木々たち
あの日見た 蛍たち
暗闇を 優しく照らす
あの月に 見守られて


幾万の 彼方の星よ
今もなお そこにいますか?
遠い日の 輝きは今
わが胸に 何かを映す 


清らかな 瞳の如く
遠い日の 記憶を抱いて
誰も見ぬ その身を映し
人の世の 先を見つめる


儚きは 蛍の命・・・
ひたすらに ただひたすらに
静かなる 命の賛歌
わが胸に 切なく響く・・・


暗闇を 優しく照らす
悲しみも 優しく包む
あの月に 守られて今
わが心 安らかに


作詞:作曲:村田雅和
絵:ウィリアム・ブーグロー(1825-1905)”La Rochelle”

絵はクリックすると拡大されます。

夜想曲.pdf

数年来、アカペラの歌曲。楽譜も作っていないし、録音もしていないので、作詞、作曲した私しか歌いこなせる人はいない。
ラベル:歌曲
posted by 雅 at 23:43| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雨に打たれて(ある偉大な芸術家による彫像)

448px-Canova_P7150049.JPGあなたは何をみつめているの?
そんなうつろな目で・・・

いまここにいる私?

それともあなた自身の思い出?

私が育ったこの町で
あなたはずっとここにいた。
あなたがそこにいる限り、
怖いものなんてなかったよ。


あなたも最初はいなかった。
もし、あなたとお話が出来たら
あなたを生み出した
偉大な芸術家について
語ってほしい・・・

あなたの愛するその人は
いつもあなたの中にあるんでしょう?

あなたは何も語れない
長年いろいろ見つめてきた

はしゃぎまわる子供たち
あなたのもとへ遊びにくる小鳥たち
ひとり淋しそうな老人

そしていなくなったご主人様・・・

あなたは何も語れない
雨に打たれて淋しそう
一人いつも見つめている

でも、あなたのかわりに
空が泣いているんだね

決して帰らないあの日を思って・・・

永遠の命を得たあなたは
私がいなくなっても、
きっといつまでも・・・


(憂愁の都市より:村田雅和)
彫刻:アントニオ・カノーヴァ(伊::新古典主義:1757-1822)”Tänzerin”
写真をクリックすると拡大表示されます。



posted by 雅 at 08:26| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。