はじめに
芸術愛好家の皆様、ようこそお越し下さいました。ごゆっくりどうぞ。
♪オープニング
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 尚、本サイトの画像は、自作もしくはPublic Domain(下記の青字リンク先をご参照下さい)になった過去の巨匠の作品の画像を使用。WikiPediaからお借りしています。各記事の画像をクリックすると拡大表示されます。
     ・・・過去の偉大な巨匠たち、先人たちに敬意を表して・・・
                                     
♪感傷的な主題と展開
作曲:村田雅和
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2009年10月07日

北原白秋頌

北原白秋頌

北の原湖畔の乙女の白樺はその髪揺らす微睡みの秋

村田雅和

 人の名を詠んだ私の短歌。カミーユ・コローの絵画のような白樺の美しい湖に行ってみたい。なぜか伊勢物語の在原業平を思い出した。

から衣きつつなれにし妻しあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ

在原業平

在原業平の「かきつばた」を詠み込んだ名歌。

 自然の風物や人の名を詠み込んだ詩というのは日本に限ったわけではなく、フランスのステファンヌ・マラルメは人の名と住所を詠み込んだ詩を、郵便としてそのまま表に書き、この不思議な宛名書き(詩句)で決して配達されなかったものはなかったといいます。

 伊勢の紅葉は冬とともにやってくるらしい。虫の声はあきらかに秋を語っています。季節外れなのに時々、雨蛙が自らの美声を楽しんでいるようで(笑)・・・。
 
 このあたりは杉や檜の人工林が多い。ゆえに美しい紅葉はなかなか見られない。杉や檜の森では植生が単純であるがゆえに動物の餌が少なく、動物達が田畑を荒らすのも無理はありません。杉自体の根が浅く、また下草も少ないため、ブナの天然林と比較すると土壌が圧倒的に弱く、土砂崩れの多くは杉や檜の人工林で起きています。

私の秋らしい一曲でもどうぞ

曲:村田雅和
【関連する記事】
posted by 雅 at 19:41| 和歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

微睡み

 今年はフェリックス・メンデルスゾーン(1809ー1847)生誕200周年記念。メンデルスゾーンのファンにとっては嬉しい限りです。しかし、この作曲家は、日本では、なぜかあまり注目されていません。生まれながらの天才にして、忘れられた過去の巨匠(バッハなど)や同時代の作曲家の作品を積極的に取り上げ、指揮者という職務を独立したものとして確立し、音楽史上に多大な貢献をしたこの作曲家は、裕福なイメージと裏腹にユダヤ人であることを常に意識し、またそのために苦悩していたともいわれています。最愛の姉ファニー(ピアニスト、作曲家)を亡くしてからは仕事への意欲を失い、わずか38歳で亡くなりました。

最期の言葉は「疲れたよ、ひどく疲れた。」

 メンデルスゾーンは多彩な才能の持ち主で、多数の言語を話し、趣味は水彩画、詩で、登山に出かけてはスケッチをためていたようです。絵はメンデルスゾーン自身の描いた水彩画で、クリックすると拡大されます。偉大な作曲家の記事に私の拙い音楽(汗)ですが、私の作曲した『微睡み』をお楽しみ下さい。

746px-Ansicht_von_Luzern_-_Aquarell_Mendelsohn_1847.jpg 絵はクリックすると拡大されます。


絵:フェリックス・メンデルスゾーン
曲:『美しき夕暮れに微睡む』村田雅和
posted by 雅 at 18:55| クラシック音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

覚書



空 虚 鏡 眼 宙

 

マラルメ:世界は美しい書物のために創られている

      襞 2 墓

紙を折り畳むことにより、魂の墓場たる書物(フランス装)を形成する

ペーパーナイフによる挿入、暴力的な開示

 

かつては、書物の縁に朱が塗られるということがよくあった。

 

『半獣神の午後』において、彼が本当にものにしたかった「秘められたるもの」は何か

襞とは 二人のニンフとは

シチリアの沼 クリスタル製のインク壺 白い紙

 

サイコロ

 

最初に言葉あり。言葉に拠らざるもの被創物はなかった。

 

サミュエルソン:数学も言語なり

 

2進数

 

虚数

 

 

連続 不連続

 

アセンブリ言語により、ハードウェアを制御できるという事実

 

・・・私はものにすることができるだろうか?

 

 

posted by 雅 at 19:40| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

「詩作」および「鐘」を巡る考察

 
 世界を解釈すること・・・まず、「均衡」という文字の紡ぎだす音の響きに、厳かな金属的な音を思い浮かべたまえ。あなたは偉大な詩人になれるだろう。


 それは古の忘れ去られた道具だが、かつて祭儀に用いられた道具であり、中世においては「時」を告げる主だった。雑多なる言、あるいは、一見、でたらめな数から成り立つ世において、例の釣鐘は全てを律する厳かな様相を示し、世界を形作る数学的前提条件(正規分布)と科学者は言う。 

 「静」は、精妙なる金細工の上に完璧なる「均衡」を描くのに対し、現実、すなわち「動」はしばしば、均衡の前提条件を破壊し、「古」の楽器を決して「静」に留めない。不思議なことに、新しい現実は、「均衡」=「静」の中には生まれない。「異端」の動的な影響から生じるのだ。そして時間の経過とともに、新たなる均衡が生じる。常識が必ずしも真実でないという事実に極めて近くはないだろうか。認めたくはないだろうが、大多数を占める世間の凡人たちにとって(そしておそらく、悲しいことに、思考の泥沼から飛翔できない白鳥=私も、唾棄すべきそのうちの一人だろう)、真実が「非常識」たりえるのだ。異端者(異常値)=天才は、我々の知らない、あるいは認めたくない(新しい?)真実を告げる人(データ)なのだ。


 私は、正規分布の釣鐘の形状を巡る、最近のこのような議論に対して自分なりの見解を持ったことに満足して、澄み切った空気の中、永遠なる夜空に思いを巡らす。科学者が数多なデータから平均と分散を求め、自然の法則を見出すように、私は貧しい脳髄から消え行く雑多なる思考の中から至高の「言」を見出そうと、思考の泉、凍てついた氷河の世界から白鳥の歌を紡ぎだそうと、無謀なる知的探求を試みる。



 時の腐食に耐えうる至高の「言」を求めて。


    願わくは、黒い白鳥の出現の恐怖にさらされる前に・・・



マラルメの偉大な弟子の一人、ヴァレリーが詩作に懐疑心を抱き、一時期詩作を放棄し、数学や物理学に没頭した理由がわかるような気がします。
posted by 雅 at 09:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月12日

腐爛頌

黄昏の腐爛の世に散る言の葉に
   鏡月夜の蒼き露かな

                                            村田雅和

白鳥友彦氏が翻訳したモーリス・ロリナの詩集『腐爛頌』(森開社)は、現代となっては一般の書店では滅多にお目にかかれないフランス装の書籍。限定出版の多い森開社の書籍だが、普及版で限定番号が付いていません。詩の内容は実に美しい。ロリナ自身は作曲家でもあり、彼の曲を探しているのですが、検索しても見つからないですね。向いていないといいながら、性懲りも無く、今度は自作の短歌。黄昏の詩人、アルベール・サマンの『青き眼の半獣神』を読んでいる毎日。このマーブル装の美しい書籍は簡単には手に入りません。職人の技が感じられる一冊。私は偶然手に入れたのですが、古書価は1万円から2万円程度らしい。
posted by 雅 at 19:05| 和歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

文化と気候



玉の露 にほふ蛍の 夢のあと    RENTISUIKIN_SOTATSU.JPG     

     

            村田雅和

 


絵:俵屋宗達;『蓮池水禽図』



絵はクリックすると拡大されます。




 学問や芸術の形成には気降や風土が大いに関係しているらしい。


 古代ギリシャやローマの霧の無い晴れ晴れとした明確な景色は、論理明晰なギリシャ哲学、幾何学的な建築物、大理石彫刻が発達し、後のイタリアでは、古代ギリシャ、ローマ文化の復興を目的とし、時間を永遠に留めたような理想主義的な古典主義芸術が(マニエリスム、バロック陣営と、対立しながらも)永きに渡って展開されました。

 誰の言葉か知らないが、イギリスは小さな島国なので、一日で四季が楽しめるというほど天気の変化が激しいので、風景画、それも水彩画が非常に発達し、中でも19世紀のウィリアム・ターナーの名は水彩絵の具のメーカーの名になっています。風景画家ターナーは、油彩画は勿論、水彩画の歴史で最も傑出した画家の一人です。絵の具といえば、イギリスの肖像画家、ホルバインからとったホルベイン社も有名ですな。ゴッホの名をもつメーカーやら他にも探せばたくさんありそうです。ちなみに、私の使用しているイーゼルには、「VANGOGH」と記載されています。ゴッホはフランスに移って印象派の画家に習って、後に全く独自の画風を形成したオランダ人です。


 ゴッホの活躍した時代の前後、モネをはじめとする印象派の時代には、日本の芸術がヨーロッパで大流行しました。睡蓮や日本の水辺の花を描いたモネ、文字通り浮世絵を模写したゴッホ、陶器や扇などをコレクションし、名高い「ノクターン」シリーズや自身の蝶を象った署名を考案したアメリカ生まれの「ダンディー」、ジェームズ・ホイッスラー・・・。おそらく日本語を一言も解しなかったフランス象徴派の詩人達、ヴェルレーヌ、マラルメ、サマンらの詩にも日本の短歌に通じる「儚さ」の表現がみられます。日本から渡ってきた絵画や陶器、着物における「儚さ」の表現から、決して言葉は通じなくともそれを感じ取ったのでしょうか。


 私はかつて一度だけ中国に旅行したことがあります。霧がかった広大な平原に意表を突かれる黒い柱のような山・・・。中国山水画の素晴らしさとその起源を目の前で見せ付けられた感動的な体験でした。


 短歌や俳句は私には向いていないらしい。あまり造詣はないし、そのような生活環境にもない。水彩画の苦手な私にとっては、日本の岩絵の具や水墨画は無理だと思うので、あえて挑戦しようとは思いません。美術館で鑑賞するだけに留めておこうと思います。私が好きな日本画家は琳派、特に酒井抱一の『夏秋草図屏風』の繊細さが心に滲みます。俵屋宗達の『蓮池水禽図』もよろしいですな。


 精神的な貴族主義=ダンディズム(よく勘違いされるがダンディズム=ジェントルマンシップ:紳士ではない、ジェントルマンからするとかなり性質が悪い)を糧とする私としては、目障り、耳障りな情報を避けるべく、テレビは避けるようになったが、インターネットの悪影響は否定できません。本サイトのコメント機能を厳格にしたのは、唾棄すべき、わけのわからんコメントで、いかがわしいサイトへ誘おうとする馬鹿者を追い払うためです。


ベニスのような街なら住んでみたいと思いますが、私は基本的に都会嫌いなので、静かな森の湖の傍に小さな家を建てて、隠居するのが将来の夢ですな。


私の拙い句でご不満の方は、こちらでもご覧下さい。


「能登麻美子:詩の朗読」


 最近のテレビ番組や芸能情報に極端に疎い私はこの方のことを全く知らないのですが、声優さんによる高村光太郎の詩の朗読です。このような方に拙作「雨に打たれて」を朗読してもらいたいですね。

 


 ※本サイトでは、商品に関する(私が意図してリンクを張ったものものを除く)リンクが自動的に形成されますが、別にアフリエイトに参加しているわけではなく、私自身、何も関知してはおりません。無料で利用させていただいているので、それはそういうことで・・・。

 



posted by 雅 at 22:35| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月08日

絵画制作について

最近、というか、かなりの時間、更新を怠っています(汗)。

まだまだ暑いが、夜の虫の音が心地よい風情を醸し出す美しい季節になってきました。残念ながら、私の住んでいるところは紅葉は冬にやってくるらしい・・・。休日の昼間は、フランス象徴派の文学(といっても、フランス語を学んだことが無いので、邦訳ものだが)や、書誌を読み漁り、夜は油絵に熱中する毎日・・・。私が読むような本は、大抵のものが絶版になっているので、何軒かの古本屋で探す。昔の書籍は内容は勿論のこと、経年により劣化しているにもかかわらず、装丁が非常に素晴らしい。書籍が消費物に堕ちてしまった現在とは違い、昔の本というのは職人の心が表れています。フランス装に関するマラルメの記述を読んで、私も挿絵入りの豪華な本を作ってみたくなってきました。豪華といっても、薄いフランス装の本です。モロッコ皮やマーブル紙による超豪華なものを作ってみたいものですが、本の制作はやったことがないし、作品数もきわめて少ないので、まずは簡易なフランス装から。安価ながら最高の贅沢でしょう。
太陽誘電の最高品質のCDへの自作の曲のマスタリングは、曲の音質のディーテールにこだわろうと思い、まだまだ先の話。




私が最近感動した本をここで一つ紹介

「美しいこと」:赤木明登:新潮社

豊富な写真つきで、誠実な職人たちの思いが詰まった本で、職人という人たちが大変身近に感じられます。
ものを作る人も、ものを大切にする人も、ぜひ、書店で手にとってみてください。

私はというと、カマイユ技法やグリザイユ技法を用いた古典的な油絵の方法を研究中。絵を習ったことがないので、全くの独学。微妙な色彩のグラデーションはグレーズ技法を使います。
古典技法といえば、古吉弘先生と鳥越一穂先生の制作過程が非常に参考になります。私はというと、ここまで描けないし、デジタルカメラすら持っていないので、手に入れるまで制作過程や実物の写真を見せるのはお預け。

パソコンで描いた絵ですが、私の画風は(油絵でも)こんな感じです。

湖畔:村田雅和

宮川、夕暮れ:村田雅和

月を見ながら、私の曲でもどうぞ。月はパソコンのマウスでで無理やり描いたもので、専用のツールは持っていません。画集や古書の方に使ってしまうし、油絵が好きな人にとっては、そもそも、パソコンで描くこと自体、好きではありません。

posted by 雅 at 23:39| 絵画制作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

クロード・モネの睡蓮

濁りなき清らかな水の面は
人の心を映す水鏡・・・。
夕暮れ時の水の面は
濃厚かつ神秘的な光景を
そのままそっくりと映し出していた・・・

透明な水の色は
観者の多様性を映し出し
風に揺れる鏡の面は
なんと映される対象までも揺らしていた・・・

多様性に富むその色彩に
彼の画家は心奪われ
そして、彼の心は
その美しさゆえに揺れていた・・・

あらゆる対象は揺らめき
甘い風は多様な色彩を匂わせ
そして光と影は動きと実在を表し
その美しき画面に命を吹き込んだのだ・・・


詩:村田雅和
posted by 雅 at 09:22| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

習作   ステファンヌ・マラルメの永遠なる墓石

世界は美しい書物の為に・・・
                
                 
                          ステファンヌ・マラルメの永遠なる墓石


観念 ( イデア ) の沼に繁茂する睡蓮の如く


    揺らめく一つの形象は

            ただひたすら甘い香りを匂わせる処女の溜息とともに・・・
      凍てついた無常なる世の深淵に朽ちるというのか?

            否、

真珠の素肌に煌めく謎めいた宝石か
( そして 、 おそらくは堅固でありながらきわめて儚い )
      あるいは夢見る虹の眼差しなのか・・・
 
 それは迎える花々を
  ( そいつは何とも逃げ易く 、 捉えがたき香りを放ちながら )
   清き絹の水面に揺らめく菖蒲の葉で綴る

      あるいは時の駆逐に耐えうる石碑と化するのを

白百合よ!
            苦悩する詩人は
                    実にそなたと夢見るのを・・・
そして過去でもあり未来でもある
    あの河に揺らめく星の涙の如く
          永遠に語られるのを祈るのだ・・・
                 
          永遠の秘石に揺らめく七色の夢・・・
      ・・・ただ彼のみが味わい深き葉巻の煙に
        その妙なる笛の音を吹き鳴らし
    稀有なる明日の叡智の為に
永遠の白百合の荷姿なる乙女の真珠の涙を
    捉えがたき水面の花の香りに昇華させる・・・
 
             否!

それは再び閉ざされた墓石とし
 麗しき白百合の祈りの微風を待ち望んでいる・・・
    貴女の涙の元に吹き寄せられた
      至純なる言の葉が
 夢の花の永遠の視像に満ちていながら
      捉えがたき大気の印象を
   
        また・・・

名もなき彫り師の手になる
    永遠なる墓標を守る彫像の
  虚ろな眼に語らせようとしている・・・
そして乙女が再び微笑みかける時
( それはあの妙なる音を奏でる
          鐘の如く極めて稀だろう・・・)

 その燦然たる光の矢に射られるのは
      その眼差しの奥底に辛うじて時を読み取る


                                    亡びゆく貴紳の末裔なる

      精神の永遠なる形見のみ・・・


Portrait_of_Stéphane_Mallarmé_(Manet).jpg

絵:ステファンヌ・マラルメの肖像:エドュアール・マネ(1876年)
クリックすると拡大されます。

未完の詩:村田雅和

書物は魂の墓石であり、棺を開くことによって封じ込められた内容が読者の脳髄に生き生きと蘇る。マラルメの詩は、フランスの詩の歴史の中で晦渋をきわめ、執拗な程に書体や装幀にこだわり、その結果、いくつかの計画は断念されてしまった。現代の本の装幀はあまりにも俗化されてしまった。私が大衆的な書籍ではなく、発行部数が少なく、装幀に凝った古書を好む理由は、おそらくマラルメの思想の影響だと思う。いわゆるベストセラーにはまるで関心が持てないのは、おそらく、「さかしま」のデ・ゼッサント、すなわちユイスマンスの影響だと思う。
posted by 雅 at 23:59| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

幻想的空間における序章


空は悲しみに満ち溢れ
音の無い空間を119820574087016408804.jpg
ただ行く末無く
一筋の風はためらっていた・・・

力を失った世界に潜む影は
死の掛け衣に覆われ
その存在をますます希薄にし
その形の持つ意味を失っていた・・・

一瞬でもあり永遠でもある
謎めく空間におけるすべては
その存在意義を不明瞭にしていた・・・

潜在的なものは顕在化し
断片的なものが普遍化する過程は
無情なる世界に曖昧化されていった・・・


詩:村田雅和

この詩をある詩のサイトで投稿した時、評価者はただ一人(文学通の駆け出しの画家らしい)でした。
フランス象徴派の総帥、ステファンヌ・マラルメは、類推による純粋なる詩の創作が如何に難解なものであるかを語っていますが、私も同じことを目指しています。決して簡単ではないので、したがって、完成された作品は多くありません。

図をクリックすると拡大表示されます。
posted by 雅 at 23:25| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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